しがない大学生の日記

大学半留年生の日記

#blacktoberでアニメキャラを描き変えるのは#blackwashingか

注意:一個人の考えの整理のために書いています。#blacktober全体の批判ではなく日本のアニメキャラクターをイラストで黒人にするのはどうなのかという問題について焦点を当てています。

 

私は日本人でアニメや漫画が好き、というよりも小さい時から見てたからキャラクターはすごく身近な存在だった。

 

だから、Twitterで#blacktoberというハッシュタグとともに日本のアニメキャラクター(例:デク、炭治郎、セーラームーンのうさぎちゃん)をイラストで黒人化しているのを見た時、なんというか言い知れないモヤモヤ感があった。

 

なので、この問題を取り上げたのはなんでモヤモヤ感を感じたのか自己分析するため。本稿でモヤモヤ感は自分が言語化できない違和感や不快感という意味で利用する(以下、モヤモヤ感)。この問題について調べる中で様々な要因が考えられたが、そのどれか1つが明確な理由とかではなく全部が複雑に絡み合ってる気がする。以下、私のモヤモヤ要因。

 

➀アニメの政治利用?

 ポリコレが近年騒がれる中で、行われたこの活動でアニメのキャラクターの黒人化を初めて見たときは驚いた。初めは驚きながらもそんな活動があるんだーくらいだったし、ちょっと前にFate遠坂凛を黒人の女性がコスプレしているのを見たときは私はいいなと思ったし、他の人のコメントを見ると日本語コメントで好感を持っている人が多かったのを覚えている。私はコスプレ文化の多様性と寛容性に素直に感嘆した。

 私を含め多くの日本人はアニメキャラや漫画のキャラを特筆されていない場合を除き現実世界と切り離して捉えているように感じる。登場人物は日本人ぽい名前で、日本の学校に通うもしくは昔の日本を舞台にしている場合はどんな髪の色、肌の色であっても日本人は日本人と捉えて見てる(そもそも人種とかをあんまり気にして見ていない)。

 

 そんな認識の中で馴染みのあったアニメのキャラがイラストで黒人として描かれる(肌の色、ドレッドヘア、厚い唇など)。つまり、人種なんて全く考えていなかったところに人種という大変ナショナリズムな要素が介入してきたことでめちゃくちゃ驚いた。そして、BLMの一環として自分たちの意見の主張のために活用するのはうーんと疑問に思う。じゃあ、同人誌を読んでる自分はどうなんだって考えたときに

 

アニメや漫画の目的は娯楽であって政治利用じゃないよねという結論に到達した。同人誌やコスプレは参加している人たちがそのキャラと世界観を愛し、その愛の表現の一環であって娯楽として消費されている。しかし、#blacktoberを活用してしまうことでその背景には黒人差別への抵抗という政治的な意図が見えてしまい、この人たちはアニメを愛しているのかというふうに思ってしまう。現実世界を見ないようにアニメの世界を見ているのにアニメの非現実的な世界に現実世界が介入してきたみたいで嫌なんだと思う。

 

 

➁アニメキャラは日本人じゃない?

この問題を調べていくうちにBlacktoberはBlackwashingじゃないかという意見もあった。私たちは上記で述べたようにデクも炭治郎もうさぎちゃんも日本人じゃね?というふうに見ている。このBlacktoberをしている絵師さんがBlacktoberはblackwashingじゃないという感じで説明している動画もあった。全編英語だから聞き取り間違いがあるかもしれないけど日本人の描くアニメのキャラは日本人じゃないという意見があった。普通の日本人は黒髪でダークブラウンの瞳という意見だ(セラムンのうさぎちゃんは金髪で青い瞳なので白人)。

この意見に対して、私はアジア人・日本人はかくあるべしというステレオタイプを押し付けられている気がした。日本人がよく洋画とか見て出てくる日本語や日本のイメージ違くて一気に冷めるのに似てるかも。確かにアジア人の髪や瞳は黒が多いけど、街中を歩いていて茶髪や金髪、青や赤に染めているアジア人・日本人だっている。カラコンを入れて目の色を変えている人もいるし、肌が日焼けして濃い人も元々色白の人もいる。目が二重で大きな人も一重の人もいる。じゃあ、アニメキャラで描かれている日本人の名前を名乗り、日本にある高校に通ううさぎちゃんは髪の色や瞳が日本人へのステレオタイプと違うだけで日本人ではないと言い切れるのだろうか?

日本には黒髪で、黒い瞳で、一重で、肌の色は茶色で、etc.以外の人は日本人として認められてはいけないのか!......とまでいうのは飛躍しすぎているきもするけど、この意見ってblacktoberで日本のアニメキャラを使って活動するための言い訳に聞こえてしまう。

黒人差別への抵抗は重要なことだと思うしblacktoberやBLMって差別への抵抗、人種の多様性を重要視しているのに個人のファッションへの多様性は認めないのかなとも思ってしまう。そのままのうさぎちゃん炭治郎、デクは日本人ぽくない(白人に見えるから)黒人として描くというのは世界には黄色人種はいなくてBlackとWhiteだけというふうには言えないだろうか。

 

だから、Blacktoberでデク、炭治郎、うさぎちゃんが黒人として描かれたときにあれ?黄色人種や日本人としての彼らのアイデンティティは軽視されているのでは?と感じた。(なんどもいうが日本人はあんまり人種や国籍を気にしてアニメを見てないけど)

 

➂文化盗用なのでは?

以下、文化の盗用に関する基本的な定義をWikipedia様から引用

文化の盗用(ぶんかのとうよう Cultural appropriation)[2][3][4]とは、ある文化圏の要素を他の文化圏の者が流用する行為である。少数民族など社会的少数者の文化に対して行った場合、論争の的になりやすい[5][2][3]。流用の対象となる文化的要素としては宗教および文化の伝統、ファッション、シンボル、言語、音楽が含まれる[6][7][8]

この問題は日本では、ちょっと前にキム・カーダシアンが下着ブランドに着物という名前をつけたことで問題になっていた。ファッションなどでも着物やアジアの伝統衣装というものは柄や形状をアレンジして表現の幅を広げてきた。今回のBlacktoberは文化の盗用に当たるのかという問題について考えるには何が文化の盗用で、何が文化の活用に当たるのかを考える必要があると思う。

文化の盗用の問題として少数派の文化が多数派によって文脈から大きく外れた意図で使われることも含んでいる。この少数派は弱者とも言い換えられるだろう。

では、日本人、黄色人種は少数派(弱者)なのか?という問いについて考える。コロナが始まってからアジア人差別がひどくなり、アジア人が黒人、白人問わず殴られたり暴力を振るわれる事件が増加している。また、コロナ以前からアジア人に対してChinaや指で目を釣り上げてチョンチャンチョンみたいな感じでバカにしてくるというのはあった。これらを見る限り、黄色人種というのは社会的に見て弱者、差別される側であると言える。(アジア人同士で差別したりもするけどここでは白人、黒人、黄色人種間での差別だけを取り上げている)

最近のサッカー選手が日本人のホテルスタッフへの発言やコロナが始まってからの差別で、日本では、白人からのアジア人差別よりも黒人からのアジア人差別に驚いていたような印象をうけた。多くが「BLMであれだけ黒人差別への抵抗を歌っていたのに自分たちはアジア人を差別するのか」というのが理由で「ダブルスタンダードじゃないか」という意見も見つけた。

 

話が逸れたが、以上を踏まえて今回のBlacktoberで日本のアニメキャラを黒人として描くのは文化の盗用なのかというのに対して私の意見を述べる。

私個人の意見としては文化の盗用の可能性があると思っている。その理由としてBlacktoberで黒人がオリジナルのキャラを使って黒人だけが出てくるアニメを作ったとしてそれを活用するのであれば私は素直に応援できたと思う。そのアニメが素晴らしいものであれば日本人のファンやその他の国籍の人が喜んでfanartとしてそのキャラクターたちを描いただろう。アニメ自体は世界的に有名でいろんな国で独自のアニメが作られているのだからアニメ=日本のものとは考えていない。

つまり、私の中でのモヤモヤ感はfanartという免罪符の元にキャラたちの見た目を黒人として描き、作品を愛しているといいながらそのキャラに登場するキャラの髪質、肌の色も完璧に書き換えるのがどうなんだろうと思う。また、ジブリ作品のワンシーンを描いているものもあるがそれらは文化の私物化のような気もするし

 

以上の3つが今回、自己分析を通して「なぜ自分がBlacktoberにモヤモヤするのか」というものの要因である。この3つの中の1つがメインのモヤモヤ要因ってわけじゃなくて、➀が大きな%を占めている時もあれば➁が大きな%を占めている時もあるし、3つが入り混じっている時もある。だから私はBlacktoberで日本のアニメキャラを使って欲しくない。作者や製作陣が心血注いだものを政治的に利用して欲しくないし、変化させたものを芸術として讃えるのもやめてほしい。

 

以下、アジア人差別とかについて

 

今回の件を調べて自分の中で整理していくうちに、コロナが始まって、アジア人差別に対する運動が少しずつ増えていく中でアジア人差別って黒人差別と比べてやっていいこと、やってはいけないことのラインが曖昧なんだと感じた。

これってLGBTQや他の差別への認識と一緒で何が差別に当たるのかをまだ世界が手探りな状態だからだと思う。だから、故意に誰かを差別してやろうという場合と無意識的に差別してしまう場合があるのかなと思う。

今まで問題とされなかった問題が徐々に明確になって生き辛さや悲しさ、辛さを逆に感じることもあるかもしれないが、いずれ何かが起きた時にこれはいけないことだと言って世界が納得してくれた方がいいんだと思う。

黒人の人たちは黒人差別への抵抗をずっと行ってきた。アジア人の差別への抵抗活動も今後行なっていくことでアジア人差別という問題がしっかりと認知されて人種の多様性、肌の色の多様性が認められたらと思う。

 

隣に座る人や一緒にご飯を食べる人、一緒に働く人がどんな肌の色をしてても気にならないくらい普通に接して、肌ではなく個人を見るようになればと思います。