しがない大学生の日記

大学半留年生の日記

トランス女性が女子トイレを使うのは許されるべきなのか?

昨今では、本来の性別以外にジェンダーという社会における性別が認識され始めた。LGBTについて会社や学校、さまざまな場所でその議論が活発化している。最近になって話題になっているのはトランス女性が女子トイレに入るのは問題ではないか?という議論だ。

トランス女性とは、生まれた時の性別は男性だったが性自認が女性であり、手術によって女性の体になった人と本稿では定義しておく。

 

本項ではトランス女性が女子トイレに入るのは問題ではないか?という議論に対し、両者の意見で主にSNS等で言われている意見を代表として挙げた上で私の意見を述べる。注意点として彼らもしくは彼女らが本当にトランス女性であるかはわからないし、女性差別だとSNS上で声高に言っている彼ら彼女らも本当に実在するのかもわからない。SNSという匿名性の高い媒体から切り抜いている以上、どちらが正しいのか?もしくはより良い世界になるのかなどは論文を読んだり他国の事例をもとに個人で解明するべきだと思う。

 

まず、トランス女性としての意見は性自認が女性であるから男子トイレで用を足すのは恥ずかしい/嫌だ/怖いといったものである。その他にも女性の格好をしており、女性として生活をしているのだから女子トイレに案内された際などに男子トイレに行くのはいらない混乱を招くために女子トイレを利用するというものだ。

また、女性というマジョリティの中でトランス女性というマイノリティがいるのだから女子トイレが使えないのは差別だという考えなども存在する。

 

次に女性側の意見としては、以下の通りである。

トイレには監視カメラなどが設置されず個室になりやすく犯罪行為が行われた際にはそれを防ぐ術がない

体が男性のままのトランス女性を女子トイレに受けれることは男性が女子トイレに入った際にトランス女性であると主張して正当化できてしまう

 

大まかに、簡単に書くとこんな感じだ。SNS上で対立している意見を見ていると

 

『心は女性なの女子トイレを使うことを否定し女性の特権を独占しようとする』=『差別主義者の女性達』

 

『女子トイレに侵入し安全を脅かす人』=『トランス女性』

 

と大きくラベリングしてしまっている事が問題である。ラベリングやこのような二項対立は複雑になった現在社会を理解しやすくすることには大変便利だが果たしてこれは現実に則っているのだろうか?現実と乖離した議論は女性にとってもトランス女性にとってもただのネガティブキャンペーンでしかない。(議論が意味をなしていないというわけでは無く、現実と乖離した議論のことを指している)

 

では、誰が悪いのか?ではどうすれば良いのか?

 

誰か特定の人を悪いと断言するのはナンセンスだが悪いのは女子トイレでよからぬことをしようとする人である。これは男性である場合が多いのは性犯罪の男女比率を調べていただけば明らかだ。この説を展開すると男性差別だという意見が必ず登場しているが、男性を差別しているわけではない。むしろ性犯罪を行う犯罪者の方がその性別への差別を助長している。ほとんどの男性は真面目で社会の規範を守っている。しかし、ごく稀にそういうことをする男性がいて、善良な男性の品位まで貶める。

そもそも性犯罪をするような人は犯罪と言われるように犯罪者が男性であれ女性であれ社会的に悪いことをしている。男性も女性も同じ性別だからと庇うようなことはないし、この人たちのせいで社会的な弱者(女性やトランス女性)が安心して生活ができない。

 

じゃあどうすれば良いかだが、トランス女性は多目的トイレを使うというのは受け入れ難いのだろうか?

多目的トイレは数が少ない、だからこそ女子トイレだ!という意見もあるかもしれない。確かに、公共施設では女子トイレと男子トイレがメインで多目的トイレはあっても2、3つだろう。

なら多目的トイレを増やすという活動をする方が建設的ではないだろうか?多目的トイレが増えれば、トランス女性、障がい者、LGBTQなど多くの人にとってより生活しやすくなるのではないか?

たとえ、多目的トイレの数が増えても待ち時間が発生するのは仕方ない。女子トイレでも男子トイレでも結局混んでいれば待ち時間が発生しそれは健常者だろうが誰だろうが待つのだからそれはトランス女性だから待たされているわけではない。

 

SNSで散見されるトランス女性はなぜか必要以上に女子トイレに入る権利を欲しているように思う。女子トイレに入る権利はトランス女性が女性として社会に受け入れられたという地位向上のためには必要なことなのかもしれない。女性が地位向上のために活動し続けている背景を思えばその一環として考えることもできる。

 

しかし、女子トイレを使う女性の権利がトランス女性の権利を認めたことで侵害される可能性がある場合それは認められないだろう。

 

この権利の話の一例として、ロシアとウクライナの戦争でウクライナの難民が飼い犬を連れて日本にやってきた。狂犬病の発症リスクがある犬を狂犬病のない日本に権益なしに入れることは良いのか?という事が議論になった。この時にはペットと一緒に過ごす権利と日本で狂犬病というリスクなしに生活できる権利が対立し、ペットは抑留期間を過ごすことになっている。

上記の例は随分簡単に説明してしまったしこの事件を解説するならばもっと書くべき詳細があるが本題と逸れるのでここでは語らない。

 

女性陣が真に恐れているのは公共の女子トイレという環境で犯罪行為を行おう男性がつけいる余地が与えられることだ。これはトランス女性への差別でも男性への差別でもなく犯罪者から自分達の身の安全を守ろうとする女性達の防衛反応だろう。

 

女性とトランス女性、男性の間の対立煽りが目的ではないなら多目的トイレを増やす活動する方が良いのではないか?それとも多目的トイレを使うと何か問題があるのだろうか?